var要素をプログラムコードではない通常の文章に使った例文を以下に挙げる:
きちんとしたPNG画像で「作品」を公開したところ、GIF画像しか読めないソフトウェアで閲覧しようとして失敗した事実を突き付けられ、「馬鹿には見えない作品なのですか?」と、とぼけられたり、駄目ソフトウェアがクラッシュした事実を突きつけられ、「観れないどころの騒ぎじゃないですね。もしかして、あなたのいう『作品』というのは『正しいPNG画像フォーマットで書かれたアプリケーションクラッシャー』のことを指しているのですか? そう仮定するなら、なるほど、なんとも素敵な作品です。天才的なセンスを感じます。」とか皮肉られたので、画像ビューワの実装が悪い、とお決まりの反論しておいた。この画像ビューワ、何百、何千と種類があってしかも、その多くはPNG画像を表示できて無料なのに。自分は何か間違っているのでしょうか。云々。例文終わり。
私はこのようなvar要素を「散文的変数」と呼んで愛用している。
というか、ウェブブラウザの正義って、どれだけ多くのウェブコンテンツやウェブサービスを利用できるか、その1点がほとんど全てだと思うのだけれど、レイアウトエンジンを選択できるブラウザって過去いくつか出てきているのに、どれもパッとしなかったな。レイアウトエンジンそのものが成熟していないからかな。